![]() |
|||||||||
|
|||||||||
|
|||||||||
昭和8年の鳥瞰図「景勝の長崎」と現在の比較 | |||||||||
長崎ロープウェイがある淵神社に 吉田初三郎の鳥瞰図「景勝の長崎」があります 長崎市が「長崎さるく」の関連で 作成したものではなく 市内の建設会社が 淵神社に奉納したもののようです 鳥瞰図「景勝の長崎」は 昭和9年(1934)に開催された 長崎観光博覧会の為に作成された物で 実物は 横77センチ 高さ17.7センチだそうです 淵神社の物は 拡大されています なお 雲仙小浜の「湯せんぺい」の包装に描かれている 鳥瞰図も この 吉田初三郎が描いた雲仙の鳥瞰図が元になっているそうです |
|||||||||
|
|||||||||
![]() |
|||||||||
原版の鳥瞰図は 大きさが横770ミリ 縦177ミリだそうです | |||||||||
![]() |
|||||||||
鳥瞰図の左上には 博多・大阪・名古屋・富士山と東京まで 右上には 台湾・上海・青島(チンタオ)・大連まで 描かれていました 上海航路も見えます |
|||||||||
ここからは 鳥瞰図と 稲佐山から見た現在の長崎との 比較です なお 鳥瞰図や 稲佐山からの画像も すべて2012年05月12日の撮影です。 26聖人の殉教地 |
|||||||||
![]() |
|||||||||
昭和8年当時 26聖人の殉教地は 女風頭山(立山)にあったと考えられていました | |||||||||
![]() |
|||||||||
現在は 皆さんご存知のように 西坂(NHK長崎放送局の近く)と されています ホテル長崎付近が 以前 殉教地とされていた場所です |
|||||||||
唐八景 | |||||||||
![]() |
|||||||||
左側 茂木と唐八景に別れる所が 田上の峠だと思います 唐八景へ行く道の途中に 自動車のようなシルエットが見えます 手前には どんの山・出雲浄水場・鍋冠山が見えています |
|||||||||
![]() |
|||||||||
上大浦小学校は昭和18年頃に廃止されました 今は運動場になっています どんの山頂上には 長崎海洋気象台の前身 長崎測候所がありました 出雲浄水場は 出雲近隣公園になりました |
|||||||||
大浦・東山手 | |||||||||
![]() |
|||||||||
上大浦小学校の上に見えるのが 長崎測候所 今の長崎海洋気象台の前身です 毎日 測候所の前で 空砲を撃って正午を知らせた「どんの山」です 海岸沿いに見える 大浦・松ヶ枝橋・出雲町は 各電停の名前で 現在は 大浦海岸通り・大浦天主堂下・石橋となっています 左にある「住吉小学校」は 「佐古小学校」の間違いです |
|||||||||
![]() |
|||||||||
松が枝橋が大浦川の河口ですが 現在の大浦川は ほとんど暗渠になっています 旧英国領事館前の海が埋め立てられて 水辺の森公園となっています 松が枝も埋め立てられて国際ターミナルが作られ 大型クルーズ客船が接岸しています |
|||||||||
大浦・南山手 | |||||||||
![]() |
|||||||||
松ヶ枝橋付近に見える 2階建で白い壁の建物は 香港上海銀行 中央付近の海岸沿いに見える 2階建ての建物は 炭坑社だと思います |
|||||||||
![]() |
|||||||||
旧香港上海銀行は 解体をまぬがれて 今は 資料館と多目的ホールになっているそうです 炭坑社は 昭和60年に老朽化の為 解体されました 今はバスの駐車場の一部になっています |
|||||||||
長崎報時観測所とタイムボール | |||||||||
![]() |
|||||||||
大浦天主堂から山側に少し登った所に 長崎報時観測所があり 正確な時刻を知るために必要な 望遠鏡などの機器が設置されていました 正午の5分前になると 赤い球を柱の上に揚げて 正午にそれを落として 長崎港に停泊する船に 正確な時刻を知らせました この装置を 「タイムボール」または「報時球」と呼びます 左に見えるのは 出雲浄水場です 右奥にある 小ヶ倉ダムから 星取山の下を通る 導水路用のトンネルがあります |
|||||||||
![]() |
|||||||||
報時観測所は 戦後 海洋気象台の社宅になっていたようです その後 長い間空き地となっていましたが 最近 数軒の家が建設中です 出雲浄水場は 1987年小ヶ倉に浄水場が完成した為 廃止となり 2010年に 出雲近隣公園となりました |
|||||||||
|
|||||||||
|
|||||||||
![]() |